死にたいと思った君と、死にたいと思ってた僕

151201_neko
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辛いことがあると死にたいという感情が生まれ、一線を越えてしまうことだってあるだろう。

かつての私もそうだった。厳密には一線を越えることがなかったのだが、高校三年間の暗黒期は長いトンネルのようで。
明日はくるけど明日はこない。毎日が最低と最悪のループで毎日死ぬことを考えてた。
今日も線路に飛び込めない弱い自分に嫌気がさし、それでも仲の良い人には心配させたくないと思ってある程度ニコニコしてる自分にも嫌気がさした。

ある時、生来の凝り性がムクムクと現れ始め「死ぬとは何だろう」「どうやって死ぬのが最善か」と考え始めるのである。ネガティブなのかポジティブなのかわからないが、本当にそう思っていた。
死というのは誰にでも平等に与えられるものだ。その死の時を自ら選んで演出できるなら最高の死に方を考えないとならないと思ったのだ。

死ぬというよりこの世から消えてなくなりたい、私がいたという事実を消したりたいのが正しい。
死にたいと思ったのにも理由がある。そして死をもって逃れるというよりも、死をもってして不満にアプローチをしたかったというところまで思考がたどり着いた。
じゃあ、この死に方で伝わるの?プレゼンとして成功するの??何て考えていた時に「いや、死ぬことじゃ一瞬のショックは作れても伝わらないな」という結論に達した。

次に今すぐに死んで、自分に後悔が残るのか自問自答行う。あった。もっと絵が描きたかった。ものを作りたかった。
死を持ってして問題にアプローチできないどころか、後悔が残って成仏できないなんて最悪じゃないか。何の成果も得られてないなんて最悪だ。

そう思って1回死んだことにした。18歳のあの日、私は死んだのだ。

そしてその時から好きな事だけやる事きめ、飽きるまで生きようと思った。
美術学校への進学を決め、親と喧嘩してまで希望進学先を変更した。
絵を描く事に執着がなくなるまで、貪欲に生きてみたら何かが見えるかもしれないと思ったのだ。

圧倒的な絶望感にふれた15歳のある日、あまりの辛さに遺書を書いた。
18歳の死んだ日に読み返してみた。あまりに下手な文章で笑ってしまった、そして不出来な遺書という作品を破り捨てた。
あんなに下手な文章じゃ何も伝わらない。不出来な遺書と中途半端な意思と後悔を残して選んだ死の先は、自分が思い描いた結果などなかっただろう。

どうせ人は死ぬのだ。焦ることはない。
自分で選らんだ死が中途半端な死に様しかプロデュースできないのなら、もう少し地べた這いつくばって生き様をプロデュースするのも悪くはないと思う。

死にたい君に届いたとしたら、こんな思考の上で生きる事を選んだサンプルパターンがあったことを頭においてほしい。さぁ、焦らずにいつか死のう。



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